1996-02-14 第136回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号
そのほかに、第三点として指摘したいことは、伝統的な体質と申しましょうか、アヘン戦争以来の近代史において中国民族が体験したことが非常に多くの性格づけをしております。列強からの侵略を受け半植民地化した中で、さらに国内における内戦を繰り返してきたことから三つの特色、属性を持ってきたと思います。
そのほかに、第三点として指摘したいことは、伝統的な体質と申しましょうか、アヘン戦争以来の近代史において中国民族が体験したことが非常に多くの性格づけをしております。列強からの侵略を受け半植民地化した中で、さらに国内における内戦を繰り返してきたことから三つの特色、属性を持ってきたと思います。
李済という人が「中国民族之始」という論文を発行しておりまして、この論文は一九五〇年の七月の「大陸雑誌」という本の一巻の第一期に載っております。その中にこういう話があるわけです。
しかし、そういうものができた背景、歴史の底流、それに対する中国民族の反感や大きな民族的エネルギーの触発という面を考えてみる必要があり、反省もしてみる必要があるのであります。
私は、日中戦争につきましては、例えばいわゆる対支二十一カ条の要求であるとか、あるいは張作霖の爆殺事件であるとか、あるいは柳条溝事件であるとか、さまざまな事件がその根底にありまして、中国民族の感情を著しく傷つけていたという事実を否定することはできない。
、直ちに言える民族というものの中には、それだけでも私は政治的な感度と責任感があると思うのですが、いまでも中止ということをやって、ソ連との関係で一度アメリカとソ連が近づいたときに、中国を犠牲に供していろいろな中国に対する援助を断ち切ったときに、彼らが悲憤の情を漏らしていたけれども、その中でもソ連に裏切られても借金は借金として、いま苦しい中で返しているんだというのは、信義をつなぐためにやったとにかく中国民族
たとえば、日本で捨てる豚の鼻にしても足にしても、中国ではこれが最高の料理として、恐らくわれわれの大平総理も、今回これらの豚肉料理を舌鼓を打ってお上がりになっておると思いますけれども、これらを考える場合におきまして、農林省の関係の皆様方がどのように、中国系統あるいは香港なりあるいはマレーシアなりシンガポールなり台湾等においての、この中国民族の生活の中においての料理の実態というものを把握されておるのか、
○戸叶武君 中国は一つだという見解は、蒋介石も毛沢東も周恩来も、イデオロギーやその政治的立場は抜きにして、中国民族を背景とするリーダーの一貫した考え方であるということをあなたはどのように受けとめ、読み取っておりますか。
若き日に中国に学び、多くの中国人と語り合って、中国民族の心情を心の奥底から理解している先生は、だれよりも中国を愛し、中国との善隣友好を願っておられ、日中友好議員連盟の有力なるメンバーとして目覚ましい御活動をされたのであります。
米中間では、これは御承知のように上海コミュニケというものがございまして、アメリカと中国との間には将来の米中関係を律する一つの指針というものが出ておりますし、その中には、アメリカが、台湾の問題は同じ中国民族の間で二つに分かれていることを非常に残念に思う、その間に平和的に話し合いによって解決されることが望ましいという期待が含まれておる。
向こうはやっぱり、政権は違いながら、中国民族が組成している国家ですから、大義名分という考え方もあり、あるいはメンツという考え方もある。そういったことを見ながら、国としてのつき合い方というのはどうしてもこういうぐあいに割り切っていかざるを得ない。いろいろあると思うんですけれども、どういう形で外交関係を開いていかれるのか、基本的な考え方を伺いたいと思います。
日本のほうの立場からいいますと、日中間のこの長い歴史にかんがみましても、中国民族と日本人というものがお互いに友好関係をつくっていかなければならないという大きな運命を持っておると思うのでございますが、ちょうど昨年の時点におきまして、日本の国内の多くの意見も、また国際環境からも、日中関係の過去の不幸な状態を正常な状態に戻して一つの友好関係をつくっていこうという決断に入ったということでございまして、付随的
○吉田(健)政府委員 私、申しましたのは、国家というものは生きものでございますから、そのときのいろんな情勢で、人数がふえたり、場所が減ったりふえたりする、こういう事実はあろうと思いますが、一般的に中国は、歴史的に見ますと、いろんな名称を使った王朝なり政府ができておりましたが、これを中国民族を中心にして一つの国家体制をつくってきておったという意味で、一般的、常識的に中国というふうにわれわれ考えられる国
○吉田(健)政府委員 中国という中国民族を中心にしてでき上がっておる国家体制というものはあったわけでございますが、地理的な概念というふうにも中国はとれますし、また場合によっては、これは国家としての中国。ただ、政府という形になりますと、具体的に歴史的には、中華人民共和国政府とか、中華民国政府とか、そういう形になって出てきておる、こういうことでございます。
たとえば科学技術の面、あるいはすでに原水爆あるいは長距離ロケットにおいて示している能力、そういうものは中国民族の能力、科学技術的に近代性を持った能力でもあるわけでありまして、ややもすれば、われわれが中国を見る目というものはロマンチックな詠嘆調の明治時代の中国という連想が浮かびますが、これは非常に危険である。
第一に、今日ただいま、最も重要なことは、かつて日本帝国主義は、中国民族主義を敵として敗れたという認識に立てば、直ちに、日中戦争状態の終結、日中国交回復による両民族の平和共存を考えることが、日本外交の第一義であると思う。これに反して、敗れたのは原爆のためで、中国には勝ったのだという認識に立てば、アメリカの核のかさの下にいさえすれば、中国の復讐から安全だと思うようになる。
古来より中国民族と密接な関係を有するわが国にとって長期的な国家利益から見て世界の緊張が緩和され、中国民族全体との間に共存の関係が樹立されることが望ましいことは、あらためて申すまでもありません。しかし、中共が現在のごとくかたくなな態度をとり、みずから国際社会復帰への門戸を閉ざしかねない政策をとり続ける限り、事態の前進にはなお幾多の困難があることを認めざるを得ないのであります。
古来より中国民族と密接な関係を有するわが国にとって、長期的な国家利益から見て、世界の緊張が緩和され、中国民族全体との問に共存の関係が樹立されることが望ましいことは、あらためて申すまでもありません。しかし、中共が現在のごとくかたくなな態度をとり、みずから国際社会復帰への門戸を閉ざしかねない政策をとり続ける限り、事態の前進にはなお幾多の困難があることを認めざるを得ないのであります。
一体皆さん、中国を代表する政府をきめる権利は、中国民族にあるのか、それともアメリカにありましょうか。これはまさに子供にでもわかる理屈であります。その理屈を踏みにじっているアメリカの態度こそ、民族自決のじゅうりんでございましょう。
中国や北朝鮮は海軍はあまり強くないのであるし、はっきり言うと、大体中国民族は船に乗ったことのない人、ばかりです。大連に来て、大きな川じゃなと言ったというのですからね。川は揚子江あれ一本だと思っておるというふうなことで、よほどのことのない限りは船に乗って日本を攻めていくなんて、二千年の長い、歴史の間で、元寇以来ないでしょう。それも、あれはシナ民族ではありません。あれは蒙古族です。
岡崎さんは日本民族と中国民族ということを考ええ、三十年、五十年を考えれば、そういう不幸な事態は非常に悲しいことだというような意味で言っておったのですが、このニチボーの問題を政府はどういうふうに解決しようとして考えておるのか。いまのままでいけば、私は不成立になる公算が大だ、こう思うのですが、どうでしょう。
私もこれは中国民族の念願だと思います。おそらくそれには変わりはないだろう。こういう一つの念願——また法律的な問題は避けますが、これがどういうことになっておるか、これは別でございますが、しかしながら、この念願と現実とは非常に離れておる、こういう実情でございます。
中国は一つだということは、これは、中国民族というか、中国国民がひとしく念願しておるところだと思います。これは、ひとり中国の国民ばかりでなく、ただいまの北京政府も、また国民政府も、同じようなことを申しております。したがいまして、私どもが第三国の立場でとやかく言う筋のものではない、かように思っております。これがいわゆる抽象的な、観念的な中国一つの議論でございます。